スーパー秋葉原

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隠れ貧乏


貧乏は生活習慣病である。「隠れ貧乏」にならないための考え方
『貧乏は必ず治る。』(桜川真一著、CCCメディアハウス)の著者は、本書の冒頭で「隠れ貧乏」という聞きなれない言葉を持ち出しています。
「隠れ貧乏」とは、まさに自覚のない、あるいは気づいてはいるけれど、認めたくない、そんな状態です。
「隠れ貧乏」は考え方や行動の癖からくる生活習慣病です。
隠れていても、いや隠していてもその「隠れ貧乏」は必ず発症します。人によってタイミングは違いますが、結婚したとき、子育てのときにあぶり出されることが多いようです。そして今最も恐れられているのが、会社を辞めたあとにくる「老後破産」。退職後に隠れていた貧乏が一気に出てくるのです。
貧乏は生活習慣病です。食事を変え、生活のリズムを整え、運動をすることで体調が大きく改善するように、貧乏も生活を変えることで必ず治るのです。(「はじめに」より)
そんな考え方の根拠になっているのは、「ダメサラリーマン」だったという著者自身の経験。比較的裕福な家庭に育ったものの、20代のとき(著者も保証人になっていた)兄の会社が倒産したことから3億円の保証人問題に直面するなど、波乱万丈の人生を送ってきたというのです。つまりそこから「貧乏は生活習慣病だ」という考え方にたどり着き、抜け出すための方法を発見したということ。具体的には、現在はお金を貯めて不動産投資をし、そのお金を株式などにまわし、現在3億円を超える資産を手に入れることができたのだとか。
本書では、そうした経験を軸として、貧乏な人とお金持ちの比較をしているわけです。全40項目のなかから、いくつかを引き出してみたいと思います。
わり算で考える貧乏人 かけ算で考えるお金持ち
駅やコンビニでもカードによる支払いが当たり前のものになり、ネットでも買い物も、カートに入れて手続きするだけでOK。そんな時代ですから、財布事情に合わせて払う額を調整できる、分割払いやリボ払いなどを利用している機会も多いことでしょう。しかしそのため、「わり算する習慣」が当たり前になっている人も少なくないと著者は指摘します。
たしかに支払額を割って考えると、高価そうなものもリーズナブルに見えるもの。ところが、そういう買い物に慣れてしまうと、わり算トラップの習慣にはまってしまうというのです。
クレジットカードの分割払いもリボ払いによる借金も、ともに高額な借金を軽く見せるためのもの。住宅ローンにしても同じで、総額で支払う額よりも目につきやすい「ちょっと無理すれば払える」という考え方こそが「わり算のトリック」。だから売る側もわり算の数字だけを強調し、できるだけ買う側の心の負担を取り除いて売ろうとする。その手法に、多くの人が引っかかるということです。
一方、お金持ちはかけ算で考えるもの。たとえば住宅ローンの話でいえば、割ったお金の少なさで判断する貧乏人と違い、お金持ちは利子をかけて総額で判断するというのです。だからお金持ちは、携帯を申し込むときの付帯サービスにも目を光らせるのだとか。月300円だとすると、すぐに12をかければ年間3600円だということがわかります。わり算思考だと「1日たった10円か、ならいいや」と思いがちですが、「これはムダだな」と判断するということ。
かけ算を使えば生活のムダも見えてきます。週1回同僚と会社の愚痴を言うための飲み会。1回3000円でも月4回で1万2000円ほど。年間なら15万円近くにもなります。
お金持ちは、貯めるときもかけ算で考えます。
月々3万貯めて1年で36万円。10年で360万円。お金持ちは、さらに利子もかけます。積み立ての投資で、年率3%の複利で考えると425万円になるな、と。(21ページより)
このようにお金持ちは、ムダな出費を削るときも、お金を貯めるときも基本はかけ算。そこで著者は、わり算からかけ算へと移行して「お金持ち体質」に改善することを進めています。(18ページより)
お金を貸す貧乏人 お金を貸さないお金持ち
お金がないと困っている知人に対し、すぐに貸してあげようとする人がいます。自己犠牲の精神がそうさせるのかもしれませんが、お金に困った人に対してお金を貸しても、お互いが不幸になるだけだと著者は主張しています。自分自身が、お金を貸して苦労した経験を持っているため、そのことを痛感するというのです。
一方、お金持ちは、知り合いであればあるほどお金を貸さないもの。「お金を貸すときはあげるとき」と割り切れる場合しか、お金を渡さないということ。ましてや保証人など、親子・兄弟であっても断るのだとか。
それは、お金の貸し借りで友情や家族の絆が切れることのほうが、お金が返ってこないよりもつらいということを知っているから。そればかりか、自分が安易に貸してしまうことで貸した相手がダメになってしまうこともあるわけです。
借金する癖がついた人に、よかれと思って貸しても絶対に戻ってこない。それどころか、中途半端に貸したことで、かえって被害者を増やすだけだというのです。だから「お金を貸す」という行為を、お年寄りに席を譲るとか、道に迷った人を案内するといったような、ちょっとした手助けと混同すべきではないということ。
それに対して、「どうやってお金を活かすか」を考えるのがお金持ち。「どうしたらお金が喜ぶのか」を、一生懸命考えているというのです。考えているというよりは、自然と習慣になっていると表現するほうが近いのだとさえいいます。
株で成功する人の中には、成長する会社で自分のお金に働いてもらうという考え方をする人が結構います。株主という立場で、長い目で自分のお金を活かすのです。"投資の神様"ウォーレン・バフェットは、この考え方で投資しています。
私の知人に、ベンチャー企業に出資した数百万円が、数億円に化けた人がいます。このように成長を助けるのが、本当のお金の使い方だとお金持ちは考えるのです。(25ページより)
お金持ちを目指すとは、お金の使い方を学ぶことでもあると著者。お金を貸すときも、安易に貸さないことが大切。貸すときは、「その人の成長の手助けになるかどうか」を基準にすべきだということ。そして、お金が活きる使い道かどうかを考える習慣が身についているか否かが、貧乏人とお金持ちを分けるのだといいます。(22ページより)
自分の感覚を信じる貧乏人 自分の感覚を疑うお金持ち
給料日の1週間前にATMでお金をおろして初めて、残額があまりないことに気づく人は、大雑把にお金の管理をしているタイプ。「今月はまだお金が残っているはず」と思い込んでしまうため、実際の残額との誤差が出てしまうわけです。
財布の中身にしてもそうで、「5000円入っていると思っていたのに、ない!」というようなことがしょっちゅうある人は、感覚でお金を管理しているということ。対してお金の貯まる人は、財布の中身の金額も、口座にある残額も、しっかりと把握しているものだといいます。
また、貧乏になる人は、根拠のないお金の話で盛り上がるのだとか。「この仕事で年間10億円は入ってくる」などと景気のいい話で盛り上がっていたりするのに、実際には借金まみれだったりするというのです。しかし、もしも本当に年間10億円入る事業を実現できる人なのであれば、もっと具体的な話ができるはず。著者のそんな考え方は、理にかなっています。
一方、著者の知る優秀な経営者たちはみな、頭のなかに、あるいは持ち歩いている手帳に、会社の数字がびっしりと入っているものだといいます。毎日、研ぎ澄まされた感覚で数字と向き合っているということ。
私たちは、自分や家族の経営者です。お金持ちになって楽しい人生、充実した人生を過ごすためには、その元手となるお金に対して、真剣でシビアでなければいけません。(32ページより)
大切なのは、お金を感覚でとらえず、具体的な数字で考える習慣を身につけること。具体的な数字で考える習慣がついたところで、ようやく本当の意味での「お金の感覚」が身につくわけです。
そこで著者は、「まずは、自分の財布にいまいくら入っているのか?」「口座にいくら残っていて、いくら貯まっているのか?」をしっかりとした金額でいえるようになるところからはじめて見ようと提案しています。(30ページより)
どこからでも読める構成になっているので、楽な気持ちで読めるはず。また後半では、すぐにスタートできる「お金持ちへのステップ」も紹介されています。将来のためにお金を貯めたい人は、手にとってみてはいかがでしょうか?



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日記

フェヒナーの法則

あ然!低所得者と富裕層の「1」はこんなに違う!
10万円をもらったら多くの人は喜ぶだろう。しかし富裕層は100万円でも喜べない。なぜ収入の高い人ほど幸福度が鈍くなるのか。
所得が増えるほど小さな楽しみを味わう能力は減るのか?
所得が一定の水準以上になると、幸福度は頭打ちになるのではないか。
前回は、そんな「飽和点仮説」の説明の中で、プリンストン大学名誉教授ダニエル・カーネマン(行動経済学)の以下の言葉を引用しました(*年収10億 富裕層の結論「“ビンボー”が幸福を呼ぶ」http://president.jp/articles/-/21655)。
「もうそれ以上は幸福感を味わえないという所得の閾値は、物価の高い地域では、年間所得ベースで約7万5000ドルだった(物価の低い地域ではもうすこし少ないだろう)。この閾値を超えると、所得に伴う幸福感の増え方は、平均してゼロになる。所得が多ければ多いほど、好きなところへ旅行に行けるしオペラも見られるなど多くの楽しみを買えるうえ、生活環境も改善できるのはまちがいないのだから、これはじつに驚くべき結果と言える。なぜこうした追加的な快楽は、感情経験を高められないのだろうか。考えられるひとつの解釈は、所得が増えるほど生活の小さな他の楽しみを味わう能力が減ってくるのではないか、ということである」(ダニエル・カーネマン著『ファスト&スロー下』早川書房)
今回は、この中に出てくる、「所得が増えるほど生活の小さな他の楽しみを味わう能力が減ってくる」という部分について考えていきます。
高所得の人とそうではない人で、同じ楽しみを経験しても感じ方が違うのでしょうか? あるいは、資産が多い人とそうでない人では同じ楽しみを経験しても感じ方が違うのでしょうか?
僕は、お金に対する人間の感覚は絶対的なものではなく、すでに保有している資産によって感じ方の変わる相対的なものであると感じています。

人は何g増えたら、「重くなった」と感じるのか?
ドイツの生理学者エルンスト・ヴェーバーは1834年におもりを持ち上げる実験で、おもりの重さの変化を感じ取る感覚は、何g増えたかといった差ではなく、何倍になったかという比に依存していることを示しました。
これは、後に「ウェーバーの法則」と言われます。

【ウェーバーの法則】
弁別閾(気づくことができる最小の刺激差)は、原刺激の値に比例している。
△R(弁別閾)/R(刺激量) =K(定数) 
 (K=ウェーバー比)
ある強さの感覚刺激をRとし、△Rだけ強めるか弱めるかして変化させたときに初めてその刺激の強度の相違が識別できたとします。この場合の△Rを弁別閾値といいます。そして、「△R/R=K(一定)」というこの法則は、重さ・音・明るさなど五感の多くで(中等度の強さの刺激に対して)成立します。
例えば、重さのウェーバー比が0.02だとします。
指先に100gのおもりを載せ、1gずつ加えて重くしていって何g加わったら「重くなった」と感じるかを調べます。その場合、2g増えたときに重さの変化に気づくのに対して、最初の重さが200gのおもりだと2g増えただけでは重さの変化に気づきません。
この場合、200gにウェーバー比の0.02をかけて4g追加しないと重さの変化に気づくことはないということです。
つまり、重さの変化は同じ2gの差であっても、最初に持っているおもりの重さによって感じ方が違うということです。また、弁別閾以下の数値が加わったとしても人にはその差が感じ取れないということです。
そして、お金の場合にもウェーバー比が一定だとすれば……。仮に1000万円の資産を持っている人にとって弁別閾が10万円だったとします。でも、10億円の資産を持っている人に同じ10万円が増え10億10万円になっても「お金が増えた」とはとても感じられないということです。仮にウェーバー比が0.01だとすると、10億円持っている人は1000万円お金が増えないと増えたと感じられないのです。
確かに、外的なお金の増加は10万円という客観的な数値(購買力)で測ることができますが、それは誰にとっても同じ感じ方(金銭感覚)であるわけではなく、保有する資産が大きくなれば小さなお金の増加を嬉しいと思うことはないということです。
大きな資産を持つ人にとっては、前出のカーネマンのいう「所得が増えるほど生活の小さな他の楽しみを味わう能力が減ってくるのではないか」ということが該当し、違いを感じるためにはより大きな資産の増加が必要だということになります。

低所得者と富裕層の「1」はまるで違う!
ヴェーバーの弟子のグスタフ・フェヒナーは「ウェーバーの法則」から以下のフェヒナーの法則を導き出しました。

【フェヒナーの法則】
感覚量は刺激強度の対数に比例する。
E(感覚量)=K(定数)logR(刺激強度)
これをグラフ(略)にしてみると、下記のようになります。
仮に、図(略)の「刺激強度」を所得とすると、所得が低い間は1単位の感覚量は少しの増加で急激に上がっていきますが、その後は1単位の感覚量の増加に膨大な収入の増加が必要になってきます。
所得1000万円の人が所得1億円になったときに感じる感覚量の差を所得1億円の人が感じようとすると所得10億円になる必要があります。
つまり、所得の増加は高額所得者になればなるほど、だんだん所得の増加によって与えられる感覚量を鈍くしていくことになります。
「所得が増えるほど生活の小さな他の楽しみを味わう能力が減ってくるのではないか」というカーネマンの説はフェヒナーの法則とも符合するものかと思います。
前回の記事でもお話しましたが、横軸を収入の値とし、それを対数で表示した場合。どこまでも幸福感(図の縦軸、図は略))が伸びるとしても、現実的に所得を一定の水準を超えて指数的に伸ばし続ける人が世の中にいるかと言えば、ほとんどいません。
僕は脱サラしてから数年で所得1億円を達成しました。しかし、10億円超えには実に16年という歳月がかかりました。そして、その次の桁(100億円)を達成することは僕が生きている間にはさすがに難しいでしょう。
そして1単位の主観的幸福(縦軸)を増加させるために残りの一生涯をかけることには正直意味がないんじゃないかなと思っています。
だとすれば、幸福感が頭打ちの状態になる程度の所得なり資産なりを獲得した人が主観的幸福に影響を与える要因について考える、つまり幸福学について考えていくのは当然の流れだと言えます。
ただ単に「所得だけ」が主観的幸福に影響を与えるわけではありません。
人間関係、心身の健康などお金をかけることで大きな見返りが得られるものが他にあるのに、無理して指数的な所得の増加という手段で幸福感を得る必要がないことは明らかです。



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日記

オシッコでガン検査

尿を用いた安価・高精度のがん検査-日立とヒロツバイオが共同研究
日立製作所(以下、日立)とHIROTSUバイオサイエンス(以下、ヒロツバイオ)は18日、線虫によるがん検査の実用化に向けた共同研究開発契約を締結したことを発表した。
ヒロツバイオの線虫がん検査法「N-NOSE」の実用化に向けて、日立が新規開発した線虫がん検査自動解析技術を活用した検査の自動化について、共同研究を進める。
ヒロツバイオは九州大学発のベンチャー企業。2015年に論文発表した線虫を用いるがん検査法「N-NOSE(エヌノーズ)」の実用化をめざしている。この検査法は被験者の尿を試料として用いるもので、がん患者の尿には近づくが、健常者の尿からは離れていく線虫の特性(化学走性)によってがんの検診を行うものだ。
同検査法は簡便で安価な方法でありながら、多種類のがんを高精度・早期に発見可能という特徴を持つ。画像診断では判読しにくい臓器のがんも検出でき、早期がんから発せられるごくわずかな物質を感知可能であるため、腫瘍マーカーでは検知が難しいステージ0〜1のがんにも反応するという。
現状、がん検診では対象部位ごとにエコーやMRI、マンモグラフィなどの精密検査を受診するのが主流だが、精密検査の費用が高いこと、早期がんは画像に反映されづらいなどの要因から、がん検診の受診率は3割弱〜4割(2013年・厚生労働省「国民生活基礎調査」より)と低い水準となっている。
同検査法の安価・高感度という特徴から、ヒロツバイオ 代表取締役 広津崇亮氏は「第一選択のがん検査として『N-NOSE』を実用化したい」とコメント。まずは「N-NOSE」によるがん検査を受け、それが陽性となった人に対して精密検査を促すフローを提供することで、受診率の向上を見込む。
人の手で行っている検査の自動化をめざす
現状、「N-NOSE」は人の手によって検査を行っているため、1人の検査員が1日に検査可能な人数は3〜4人程度となっている。今後世界市場で展開する上でさらに検査の高速化を図るため、今回日立との共同で、自動解析装置による検査の自動化に関する研究を進めていく運びとなった。
今回発表されたのは、尿検体と線虫の分注を行う「自動分注システム」と、線虫の動きを撮影して検査結果を導く「自動撮像・画像解析システム」の2件。線虫の培養以後のフローを機械化する想定だ。
日立 研究開発グループ 基礎研究センタ 久野範人氏は、「現状のスループットは人力検査とほぼ同等程度。そのため、共同研究のメインターゲットは、作業の高速化にある」と語った。いずれのシステムも、1度に4プレートを処理することが可能となっている。
「自動撮像・画像解析システム」では、小さい線虫を機械が検出・計数するのは難しいため、プレートをブロックに分割して、それぞれの区画の輝度を指標としている。ブロック内に線虫が多いと明るく、少ないと暗く見えるため、デジタル化したパターンで計測が可能となった。
なお、「N-NOSE」は2019年10月の完成を目指している。自由診療で、病院を介した状態での実用化を想定しており、(受診者が支払う)検査費は1回数千円程度となるということだ。






過去記事
がん検診で見つかるガン 放っておいても自然に治る例多数
がん検診を受けると、「命を奪わないガン」をたくさん見つけてしまうことになるのだという。それが最も多いと考えられているのが、「前立腺がん」だ。
「PSA(前立腺特異抗原)」という血液を調べる検診が普及した2000年頃から、新規患者が激増した。
京都大学医学博士の木川芳春氏は、このような命を奪わない病変を「ニセがん」と呼ぶ。
「新規患者がうなぎ上りに増えているのに、死亡者の数が横ばいなのは、命を奪わない『ガンに似た病変』をたくさん見つける『過剰診断』が多いことを意味しています。
日本では検診によって『ニセがん』をたくさん見つけることで、新規患者の水増しが行なわれているのです。私は、前立腺がんの半分以上は『ニセがん』だと考えています」
前立腺がんでは、検診で見つかる早期がんのほとんどが、いわゆる「ニセがん」なので、それで死ぬことはない。
つまり、1〜3期の10年生存率が100%と異常に高いのは、早期に見つけて治療した成果ではなく、元々命を奪わない「ニセがん」ばかりを検診で見つけている結果といえる。
こうした「ニセがん」は、「乳がん」「子宮頸がん」「甲状腺がん」などでも多いと指摘されている。これらのがんも、全症例の10年生存率が80〜90%台と軒並み高い。
数字がよく見えるのは、「早期発見、早期治療によりガンが治った」というよりも、前立腺がんと同様に、命を奪わないニセがんが多く含まれているからなのだ。
医師で医療統計が専門の新潟大学名誉教授・岡田正彦氏もこう話す。
「がん検診で見つかるガンの中には、放っておいてもいいガンや、自然に治るガンが、かなりの割合で含まれています。
このようなガンばかりを見つければ、当然、生存率は高くなります。昔に比べて生存率が高くなったように見えるのは、治療が進歩したからとは断言できないのです」
一方、命を奪う「本物のガン」は進行が非常に速いため、定期的にガン検診を受けても、早期で発見することは難しい。
そうしたガンは、周囲に広がっている3期や、転移のある4期の状態で見つかることが多いので、必然的に10年生存率が低くなる。
「食道がん」「肝胆膵がん」「肺がん」「卵巣がん」などで全症例の10年生存率が低いのは、進行が速い悪性度の高いガンが多いからだ。
これらのガンは早期発見することも、完全に治すことも、まだまだ難しい。
10年生存率からは、このような厳しい現実も読み取られるべきだろう。



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日記

日本空爆


真珠湾の報復、歴史を変えたドゥーリトルの日本空爆

1942年4月、米軍の奇襲航空部隊が敢行した大胆な任務とは

1942年4月18日、飛び立つのに必要なギリギリのスピードで、空母ホーネットの甲板から発艦する米軍のB-25爆撃機。

1942年初頭、米国は怒りと恥辱と困惑にさいなまれていた。太平洋艦隊の戦艦は、1941年12月7日(現地時間)に行われた日本軍の奇襲によって真珠湾の底に沈んでいた。

それからの数カ月間、日本軍は圧倒的な力で太平洋を進撃し、英国、オランダ、フランス、米国の領地を叩き潰していった。米国も連合諸国も、なすすべなく見ているしかなかった。

真珠湾攻撃の後、フランクリン・ルーズベルト米大統領は激怒して、日本の本土に報復攻撃を仕掛ける方法を見つけ出せと軍部の責任者らに迫った。だが、その難題の答えを導き出せる者はいなかった。

航空母艦搭載の戦闘機では小さすぎて十分な損害を与えることは期待できず、また任務に必要なだけの燃料を積むこともできない。爆撃機であれば破壊力には問題ないが、大きすぎて空母から離発着させることは不可能だと思われた。

しかし1月のある寒い日、ある人物が、比較的最近開発された双発中型爆撃機B-25「ミッチェル」であれば、空母の甲板から発進させられるのではないかというアイデアを思いついた。爆撃機を空母に着艦させることは無理だとしても、日本に爆弾を落とした後で、友好関係にある中国の領地まで飛ぶだけの燃料を積むことはできそうだった。

陸軍航空軍司令官ヘンリー・ハーレー・“ハップ”・アーノルド大将はこの任務を、当時最も名の知られた操縦士であったジミー・ドゥーリトル中佐に任せることにした。

この時点で、B-25を飛ばせるだけの十分な経験を積んでいたのは、オレゴン州ペンドルトン基地に駐屯している陸軍航空隊第17爆撃隊の操縦士だけだった。彼らはフロリダ州ガルフコーストの秘密基地での厳しい訓練に臨んだ。全長数キロの滑走路からの離陸に慣れていた彼らは、空母の短い甲板から飛び立つという恐ろ しく高度な技術を身に付けた。一方、B-25戦闘機には追加の燃料タンクが取り付けられ、不必要な重量のかかるものはすべて取り外された。

「目的地は東京」

1942年4月2日、空母ホーネットは飛行甲板に爆撃機16機を載せてサンフランシスコ湾を出港した。沖合で巡航艦と駆逐艦が合流すると、すべての艦に向けて通信が送られた。「この艦隊の目的地は東京である」。5000人の兵士が上げる歓声が、暮れゆく太平洋の空に響き渡った。

艦隊は太平洋上で空母エンタープライズと合流し、日本を目指してさらに西進した。通称「ドゥーリトル・レイダーズ」と呼ばれるようになった飛行隊員たちはその間、「私はアメリカ人です」というフレーズを中国語で言えるように練習しておくようにと命じられていた。

日本軍は中国本土の広範囲を占領していたため、レイダーズのメンバーは味方陣営に属する中国人と、敵である日本人の見分け方も学んでいた。彼らは地図を頭に入れたり、賭け事をしたり、映画を観たり、アイスクリームを食べたり、自分たちの運命についてあれこれと考えたりしながら時を過ごした。ドゥーリトルは、自分たちが生きて帰れる確率は五分五分と見ていた。

出港から2週間がたち、艦隊が敵の領海に近づいたころ、天候が悪化しはじめた。波は3階建てのビルほどの高さに達した。そして4月18日午前3時、レーダーが日本の哨戒艇をとらえた。米海軍の巡洋艦の攻撃によって哨戒艇は沈んだが、艇の乗組員はすでに無線で本国へ警告を送っていた。

事前の計画では、ドゥーリトルの飛行隊は日本から480キロほどの距離まで近づいてから発進することになっていたが、哨戒艇に発見された時点で、艦隊はまだ日本から1100キロ以上離れた位置にいた。海軍司令官らとの短い協議の後、ドゥーリトルは作戦決行の許可を得た。すぐに警笛が鳴らされ、ホーネットの艦長が命じた。「陸軍航空兵、搭乗せよ!」

空母が激しく波に揉まれる中、ドゥーリトルが最初に発艦を試みた。空母の海軍航空士官は、甲板が上昇する力を利用して爆撃機が発艦できるよう、艦首が上下するタイミングを測っていた。ドゥーリトルはこのときのことを「まるでシーソーに乗っているようでした」と振り返っている。

信号を受けて、ドゥーリトルはエンジンの回転数を上げていった。同機の搭乗員が、エンジンが燃え上がるのではないかと心配しはじめたころ、爆撃機は甲板を重たげに進み始めた。「風に煽られたらどうなるかが気がかりでした」。先頭から4機目に搭乗していたテッド・ラーソン操縦士はそう語っている。「もし彼が発艦できないなら、誰にもできないことは皆わかっていました」

空母が膨れ上がる波に持ち上げられた瞬間、ドゥーリトルの機体は甲板の端までわずか数メートルというところで空に飛び上がった。そし16機の爆撃機はすべて発艦に成功した。

日本空爆

5時間後、飛行隊は低空飛行で日本沿岸にたどり着いた。日本軍の機体だと思ったのか、漁師や農民が上を見上げて手を振った。空はすでに晴れていた。

爆撃機の大半は東京を目指した。低空で飛行していた彼らは、日本の首都を守る数多くの対空砲に驚かされることになった。

誰もが心のどこかで、日本の「ゼロ戦」が大挙して飛んでくるのではないかと考えていたが、飛行隊が目標の各都市からすばやく離脱したため、結局敵機との本格的な戦闘に発展することはなかった。

同作戦が行われている最中、日本の首相で陸軍大将の東条英機は、小型の公用機で空軍基地に向かっていた。公用機が滑走路に降下していく脇を、ドゥーリトルのB-25は1発の弾丸も発射せずに飛び去った。

一路本国を目指していた空母エンタープライズとホーネットに、日本の海外向け短波放送の「ラジオ・トウキョウ」を通じて空襲に関する情報が届き始めると、数千人の搭乗員は歓喜に湧いた。

燃料切れで不時着

ドゥーリトル隊は日本海上空で再集結し、夕日が沈んでいく西を目指した。ここまでくれば、あとは中国の領地に到達して着陸するだけだ。

しかし夜間の着陸は昼間よりも格段に難しい。さらに悪い事に、天候が再び崩れ始めていた。

中国沿岸には高い山がそびえ、山脈は内陸まで続いている。視界はゼロで、燃料は底を尽きかけていた。滑走路を示す誘導信号はどこにも見えない。ドゥーリトルは、燃料がなくなるまで飛び続けてから、夜の雨の中へ落下傘で脱出するしかないと決意した。

爆撃機のエンジンがプスプスと音を立て始めると、搭乗員らはひとりまたひとりと、開け放った爆弾倉の扉から何も見えない闇へと落ちていった。幸運なことに、着陸で命を落としたのはわずか3人にとどまったが、8名が日本兵に捕らえられ、そのうち3名が処刑された。残りは厳しい拷問を受けた上で終身刑を宣告された。

ドゥーリトル自身は、人間の糞や尿が肥料として使われている水田に落下した。周辺の人家をまわり、中国語で「私はアメリカ人です」と言ってみたものの、まるで通じなかった。

また別の操縦士は樹上に落下して、そこで1本のタバコに命を救われることになった。枝を切って地面に下りる前に、彼はまずタバコに火をつけて一服し、まだ端が赤く光っている吸い殻を下に放った。その光が闇の中をどこまでも果てしなく落下していくのを、彼は恐怖に震えながら見つめた。彼の落下傘が引っかかっていた木は、高い崖の淵に立っていたのだ。

さらに別の搭乗員は、身を隠して寒さをしのげる場所を求めて、納屋の中の木挽き台に載せてあった細長い木の箱に潜り込むことにした。ところがその箱は実は棺で、中には「非常に高齢の中国人男性」が入っていたという。

ドゥーリトル機の5名の搭乗員は、翌日にはほぼ全員が再会することができた。親切な中国人が彼らをかくまい、安全地帯までの移動に協力してくれた。やがてたどり着いた米軍の陣地で、隊員たちは英雄として迎えられた。

戦雲の流れを変える

この大胆な空爆のニュースは世界中のラジオや新聞で伝えられ、沈みがちだった連合軍の士気を大いに高めた。しかしなにより大きかったのは、この一撃離脱の急襲が、軍事計画の立案に役立つ極めて重要な情報をもたらし、戦争の成り行きを変えたことであった。

ドゥーリトルによる空爆以前、日本海軍の無線はほぼ沈黙を守っていたため、米軍による暗号解読作業は困難を極め、帝国海軍の暗号書のうち、解読できたのは1割程度にとどまっていた。ドゥーリトルによる日本の中心地への急襲をきっかけに大量の暗号文が流れたことで、米軍は数週間のうちに、日本海軍の暗号の9割近くを解読するに至った。

空爆から1カ月ほどたった1942年6月、日本は同国が有する大型空母6隻のうち4隻を発進させて、ミッドウェー島にある米軍の前哨基地を襲撃した。これを予測していた米軍は、待ち伏せを仕掛けて4隻の空母をすべて沈めた。この甚大な損失によって日本艦隊は力を失い、戦況は連合軍の優位へと傾いた。

ジミー・ドゥーリトルがワシントンの陸軍航空隊本部に帰還すると、そこにはハップ・アーノルド大将とジョージ・マーシャル陸軍参謀総長が待っていた。彼らはドゥーリトルに、ホワイトハウスに行って大統領に会うようにと告げた。

「何のためでしょうか」とドゥーリトルは尋ねた。彼は、飛行隊の爆撃機をすべて失った罪によって軍法会議にかけられることを恐れていたのだ。

参謀総長は答えた。「大統領から君に名誉勲章が送られるためだ」


ルーズベルト大統領は、東京空爆の計画と指揮においてドゥーリトルが果たした役割を讃えて、彼に議会名誉勲章を授与した。




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